治療と仕事の両立を実現できる職場環境を構築するために

がん患者の約3人に1人が生産年齢(15〜64歳)で罹患しているというデータがあります(国立がん研究センター)。

働き盛り世代のがん。今、がんに限らず医学の進歩でいろいろな病気が治せる時代になりました。それによって適切な治療を受けながら、働き続けたい人たちも増えています。そのために欠かせないのが「治療と仕事の両立支援」です。

この課題に向き合うため、企業や医療機関、専門家らが協力して、適切な支援策を模索しています。

支援を必要とする人たちが治療と仕事を両立できる社会の実現に向け、医療機関と企業とが連携した復職や両立支援のシステムについて研究されている産業医科大学医学部 両立支援科学准教授の永田昌子先生(産業医)にお話を伺いました。

治療をしながら「働きたい」を一緒に考え、取り組む

産業医科大学医学部 両立支援科学准教授の永田昌子先生

日本産業衛生学会指導医・専門医、社会医学系指導医・専門医でもある永田先生。
専門は産業医学、有病者の就労支援。

──2018年4月、産業医科大学医学部に発足した「両立支援科学」ではどのような研究をされているのですか?

永田:
企業が生産性を保ちつつ、患者さんが治療と仕事を両立できるよう、職場には何を伝えるべきか、また復職後もどのような支援が継続的に必要か、また、日本全国で治療と仕事の両立支援をどのように展開していくかについて、産業医科大学病院の「両立支援科」で実際の患者さんとの診療経験をもとに研究を進めているところです。

──「両立支援科」という診療科をはじめて聞くのですが、どのような取り組みをされているのですか?

永田:
実は、日本初の診療科で産業医学を専門とする医師と両立支援の研修を受けたスタッフが、主治医と連携し、患者さんのご希望を考慮した、治療をしながらの働き方を一緒に考えます。必要に応じて企業側に病状説明・就労に関する主治医意見書*の作成も行います。

*主治医意見書主治医が医学的観点から職場復帰や就労継続の可否や、必要な配慮についての意見が記載された診断書で、職場での就労に関する参考資料

──患者さんと主治医と一緒によく話し合って、患者さんが治療を継続して働ける良い方法を職場と話し合えるように支援するのですね。

永田:
はい。患者さんが安全に働けるよう、仕事で危険な作業や環境の情報をできるだけ網羅的に確認します。例えば、少しふらつきがあるような患者さんは高所作業をすると重大事故を起こす可能性があります。それを職場に「ふらつきがあるので高所作業は避けてください」と、配慮が必要なことを明確に伝えます

職場が病気を持った労働者を受け入れる場合、必要な配慮がわからないと、心配しすぎてデスクワークに限定してしまうなど、一方的に就業を制限してしまうことがあるからです。

仕事を過度に制限されてしまうと、本人も働きづらくなります。できるだけ本人の今の状況と職場が求める働き方との間で折り合いをつけて、本人と職場が納得して決断できるように支援しています。

医療者が患者さんの社会復帰に介入する際に注意しないといけないのが、 患者さんの周囲は患者さんを優先的に配慮すべきである、という考えに陥りやすい点です。

そこで、当院では、企業や仕事のことをよく知り、働く人の健康管理を専門とする私たち産業医学を専門とする医師が介入する体制をとっています。

その結果、職場からサステナブルな支援が受けやすくなり、患者さんも働き続けやすくなると考えています。

──本人の意志を尊重する環境づくりは大事ですが、だからといって必要以上に配慮すると周りが大変になってしまいそうですよね。

永田:
数週間の配慮は持続できても、それが数ヶ月にわたると、同僚の方々も疲弊してしまう可能性があります。なので、より継続的にできる配慮のもと本人が働けるよう、職場の状況も知りつつ、患者さんの健康状態を見てお互いが納得できる働き方を提案することが私たちの役割です

患者さんと企業の両方が納得できるように、チームで両立支援に取り組んでいます。

「働き方改革」の一つの柱「治療と仕事の両立支援」

──どうして産業医科大学病院に「両立支援科」がつくられたのですか。

永田:
今、日本には少子高齢化に伴う生産年齢人口の減少という課題があります。そんななか、育児や介護、病気の治療など、個々の事情に合わせた多様な働き方を選択できる社会を実現するため、政府は「働き方改革」を推進しています。

この「働き方改革」の流れを受けて、2018年の4月から、仕事を続けたい患者さんが治療と仕事の両立に必要な情報を職場に伝えたいとき、症状、治療計画、働くための留意点や必要な対応などを記載した診断書(主治医意見書)を保険診療で発行できる制度が始まりました。

しかし、治療と仕事の両立に必要な情報といっても、なにをどのように医療者が職場に伝えれば支援となり得るのかわからないため、ケーススタディを進めるべく、産業医の育成を使命とする産業医科大学病院にこの「両立支援科」がつくられました。

──なるほど。社会の要請の中でできた診療科なのですね。両立支援に関する研究はどこで発表されるのですか?

永田:
私たち産業衛生専門医が所属する公益社団法人日本産業衛生学会(JSOH)やがん治療学会、各診療領域の学会で、事例発表等の形で発表しています。

その他にも、こうやってウィッグリング・ジャパンさんの活動と出会ったり、患者会やいろいろな医療機関から講演のご依頼をいただいたり、治療と仕事の両立支援への関心度の高さを肌で感じています

──「治療と仕事の両立支援」が注目されるようになったのは、医療技術の進歩で、いろいろな病気が治せるようになったこともあるでしょうね。

永田:
そうですね。例えば「がん」は早期発見、治療が可能になり生存率も向上しています。通院治療の方も多く、そうなると患者さんのなかには働き続けたい人がたくさんいらっしゃいます。今後はそのような方々が治療と仕事を両立できる社会の実現が求められていくでしょう。

経済的な面を考えても、自分の収入で自分の医療費が払えることは患者さんにとても価値あることだと感じています。

自分の状況をきちんと伝えることが、
治療と仕事の両立を可能に

──患者さまの支援で大事にしていることは?

永田:
私たちは、患者さんが「働きたい」と思う気持ちや「どのような働き方をしたいのか」を大事にしています。

ただ、そのために職場があらゆる要求に応えるべきというわけではありません。職場には職場の論理があって生産性を上げることが必要ですから、両者の意見を尊重しつつ納得できる働き方を探すよう尽力しています。

──同じ職場の仲間が病気になって一緒に働くとなると、どんな対応をすればいいのかわからなかったり、腫れものに触るような態度を取ってしまったりする人もいそうですね。

永田:
そうですね。私も周囲の教育は課題だと思っています。ただ、これには答えがないんですよね。

「体調大丈夫?」という声かけがあると嬉しい方もいらっしゃるし、本人は普通にしているのに、その声がけで”自分は体調が悪く見えてるんだ”と傷つく方もいたり…。私は、患者さんには支援を受けながらも、周りの声かけにグラつかず、働き続けるぐらいの強い気持ちが必要なのかもしれないと感じています。患者さん自身で乗り越えていかなければいけないこともたくさんあるのです。

──患者さんもサステナブルな支援を受けるためには、普段からの職場のコミュニケーションが鍵となりそうですね。

永田:
お互いに、いつでもしっかりと話し合える環境を整えておく必要はありますね。本当に職場は多様で、さらに患者さんの症状も一人ひとり違い、変化もしていきます。それに合わせて会社側もフォーメーションを変えながら、柔軟に対応する必要が出てくるでしょう。そのような配慮を受けるために、患者さんは自分の状況を自分できちんと説明できなければいけません。

患者さん自身が、誰に何を理解してもらうといいのか、そしてその人に病状や治療の見通し、配慮して欲しいことを、適切に説明できるように支援することも、私たち支援者のひとつの役割だと思っています。

患者さんもいろいろな場面でそれぞれに違う表情を見せています。その時々で自分を支える人をたくさんつくって、一人の患者さんに対してたくさんの人が関わって支援できることが理想です

希望に応じた両立支援を受けられる日本を目指して

福岡県北九州市にある産業医科大学

福岡県北九州市にある産業医科大学。
産業医学の振興と優れた産業医の養成を目的として設置された日本で唯一の医学部です。

──今、厚生労働省としてもこういう「両立支援科」について、産業医科大学病院を皮切りに広げていく動きがあるのでしょうか?

永田:
この「両立支援科」を展開していく動きは今のところ私が知る限りありません。ただ、これまで以上に、治療と仕事に関する支援の機能を医療機関に持たせようとは考えていると思います。

例えば、がん診療連携拠点病院だとがん相談支援センターに患者相談窓口があります。 そこで就労の相談もできるようになっています。

その他の医療機関ではソーシャルワーカーや看護職が主に就労の相談を担当しています。担当者が問題を整理して主治医の先生と相談しながら支援することが今後も強化されていくでしょう。

さらに必要となる企業とのやり取りのHow toを私たちが提供していくという感じですね。

──今後のビジョンをお聞かせください。

永田:
今後は、患者さんが希望する治療と仕事の両立支援をもっとふつうに受けられるような日本にしていきたいです。そのためには、周囲や関わる人たちの理解と支援が必要なんだということを、もっとたくさんの人に知ってもらいたいと思っています。

患者さんにお伝えしたいのは、病気と診断されても退職を急がないこと。一人で悩まないこと。就労について悩まれている方は一度、医療機関の患者相談窓口にご相談ください。がん診療連携拠点病院にはがん相談窓口が必ずあり、かかりつけの病院でなくても地域の誰もが無料で利用できます。まずは相談してみましょう。

私たちも全国の医療機関で患者さんが、より充実した両立支援を受けられるよう活動に取り組んでいきます。そして、全国に両立支援を知ってもらえるように情報発信を積極的に行っています。

治療と仕事の両立のための介入事例

※紹介する事例は、これまで関わってきた相談事例をもとに再構成した創作であり、特定の人物を指すものではありません。

事例1:入院中に退職を思い悩むも復職した40代女性

事務職をされている40代女性の方で、ある日急に下腹部痛などの症状が出たため、救急外来を受診したその日に入院となりました。検査の結果、腹部腫瘍の診断で、緊急手術を行い、ストーマ(人工肛門)をつけることになりました。

手術を終え、次の日に目を覚ました彼女は自身の状態に戸惑い、職場に迷惑をかけてしまう体になってしまったとすぐに上司に電話で退職したい気持ちを伝えたそうです。彼女にとっては急な障害で受け入れることが出来ず、とにかく不安と混乱でとても働く気持ちにはなれませんでした。

入院の間は看護師さんが精神的に辛いことに共感しながら寄り添っていました。退院の目処がたった頃、ふと看護師さんに職場を退職する意志があることを伝えられ、仕事の話だったので私たちの方が引き継ぎました。仕事に関して詳しく本人と会話し、多くのストーマ保有者の方が仕事に復帰できている現場もお話ししました。

「まずは休職扱いにして療養してから考えてはどうでしょう」と退職を考え直すようお伝えしました。

とはいえ、当然本人はすぐには気持ちがついてきませんでしたが、様子を見ながら支援を続けさせていただきました。しばらくたって気持ちが落ち着いてきたころ、徐々に復職に意欲を示されました。

実際、主治医と相談しながら対応し、休職扱いにして頂きました。術後2週間、経過良好で退院され、その後1ヶ月たたずに復職しました。

コメント「あの時やめなくてよかった」という言葉を聞いて、私たちは意思決定を支援できたことを嬉しく思います。

事例2:職場で自分のできることを精一杯やりながら、治療も仕事も継続している40代男性

保育士の40代男性の方で、息切れの症状が出ても仕事が忙しく、症状が悪くなって病院へ。がんが見つかり、重篤な肺炎も合併していました。

緊急入院から1ヶ月後、肺炎は改善しましたが、がんの治療で療養が必要な体調であることをお伝えすると大変落ち込まれ、それでも勤続17年で管理職という立場と自身のお子さんがまだ幼いということもあり、本人がお仕事についての支援を希望され、私たちが介入しました。

肺炎は治療でかなり良くなりましたが、あまりにひどい炎症だったため、肺機能に障害が残ってしまい、重たいものを持つことができない状況でした。保育士さんなので子どもを抱えることが問題になっていました。しかし、本人の働く意欲は強く、働けることを上司に説明したいということで、主治医からどんな仕事だったらできるか意見書を希望されました。

本人に職業状況をできるだけ詳しく教えてもらい、どういった作業だったらやれるのか一緒に考えていきました。さらに職場に伺いました。特に私たちがよく聞くのは、「仕事を行うために最低限必要な要件は何ですか?」ということ。

その時点では上司から「保育業務にも必ず参加が必要」と言われていて、それができないことをどういうふうに伝えていくか本人ともしっかり話し合い、チームでも協議を重ねました。

そして意見書に、病気が悪化するためにしてはいけない作業、病気が悪化することはないけれどあれば働きやすい配慮などを細かく書いて提出しました。本人ともよく話し合い、上司から質問を受けた時も自分で説明できるように準備しました。後日、本人と上司と産業医と面談して復職可能と判断してもらうことができ、休職から2ヶ月、私たちが介入してから1ヶ月で復職となりました。今も2週間に1回通院をされています。

その後の報告では、事務職に専念した管理職として受け入れられ、手を貸す程度の保育業務はあるけど、急な動きをするような仕事につかないでいいように配慮していただけているそうです。力作業はしていないけどその分、事務作業を代わりにたくさん引き受けるなど助け合いながら働いているとのこと。

本人は仕事ができることに対して、生活に張り合いを感じ、元気になっていました。職場の方も役割を分担してやってみると意外にも円滑に進んだようで、サステナブルな受け入れだと思ってもらえたみたいです。当然それは本人の頑張りもあってのこと。同僚も助かってると言って下さって、みんながいい方向に向かっているようで、職場にもいい影響を与えられたようです。

不思議なことに仕事を始めると肺がさらに良くなったりして、これから追加のがんに対する治療が必要になってきますが、復職できたということが自信にもなり、治療にすごく前向きになられました。今も仕事は休まずに通えています。

コメント患者さんの意思を尊重した支援となったのではと思います。また、医学的な意見を正確に隠さずお伝えすることで、患者さんや周りの方々が安心して働けることを改めて痛感しました。治療の中断を何より避けたいので、治療をうまく続けられるような情報の出し方を心がけています。

【関連リンク】
産業医科大学医学部両立支援科学
両立支援情報サイト
治療と仕事の両立ナビ

【インタビュー記事担当者】

編集長:上田あい子

編集ライター:友永真麗

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。