未来の医療を支える「リサーチナース」

臨床試験」と聞くと、少し怖い、人体実験のようなイメージを持つ方もいるかもしれません。

でも実は、臨床試験は未来の医療を創る希望の光。患者さんにとって、新しい治療の可能性をひらく鍵となるものなんです。そして、今、患者さんと未来の医療を繋ぐ重要な役割を担っている看護師がいます。

その名は「リサーチナース」。

今回は、長年リサーチナースとして活躍されている藤原紀子さんに、患者さんに寄り添う温かい思いや臨床試験の意義、そしてリサーチナースの役割についてお話を伺いました。

Profile

東京大学医科学研究所附属病院 がん看護専門看護師

藤原 紀子(ふじわら のりこ)さん

2005年から臨床試験に携わるリサーチナースとして活躍。臨床現場での経験を通して、目の前の患者さんの「治りたい」という思いと、未来の医療への貢献という両方のバランスを大切にすることを信条としている。現在、国際臨床研究看護学会(IACRN)日本支部支部代表として、リサーチナースの育成と認知度向上に尽力。臨床試験に関する講演や研修、学会活動などを通して、患者さんと医療の未来を繋ぐ”架け橋”となるべく、精力的に活動している。

リサーチナースとは?

──藤原さんは長年、リサーチナースとしてご活躍されていると伺いました。まず、リサーチナースの役割について教えていただけますか?

藤原:
はい。リサーチナースは一言で言うと、「現在の患者さんに協力していただきながら、未来の患者さんに医療を届けるお手伝いをする存在」です。その間でバランスを取るのが私たちの役割です。

患者さんは、臨床試験に参加する際、期待と不安、時には葛藤を抱えています。その揺れ動くお気持ちに寄り添いながら、試験への参加と継続をサポートするのがリサーチナースの大きな役割になります。

また、過去の臨床試験があったからこそ今の医療があるように、「現在の臨床試験が未来の医療をつくる」のです。

──現在の臨床試験をちゃんと行わないと、私たちに未来の医療はないわけですね。具体的に、リサーチナースのお仕事にはどのような内容が含まれるのでしょうか?

藤原:
主な業務は、治験を含む臨床研究に関連する幅広いサポートです。

患者さんのケアをはじめ、データ収集やスケジュール調整なども担当しますが、特に大切なのは、患者さんが臨床試験にかかわられる場合に、研究の内容やリスクなどを理解されているかを確認し、患者さんが意思決定されるのをサポートすることです。

治験コーディネーター(CRC)の多くは治験に特化して活動していますが、リサーチナースはCRCのようなコーディネーター業務を行う場合と、外来や病棟など、臨床現場に所属しながら、研究に参加される患者さんを幅広くサポートしている場合があるのが特徴ですね。

米国に本部をおくリサーチナース(臨床研究看護専門職)の国際組織があります。

国際臨床研究看護学会 IACRN(International Association of Clinical Research Nurses)と言って、臨床研究の参加者のケアに直接的または間接的に影響を及ぼす看護師の専門性の向上を支援し、専門的な実践によって臨床研究の看護を定義、検証し、発展させることを目的として活動しています。現在、約30か国から看護師が参加しています。

私は国際臨床研究看護学会(IACRN)日本支部の代表もさせてもらい、フォーラムやいろいろなところでリサーチナースの教育や普及にも力を入れています。

リサーチナースとして使命を感じた瞬間

──リサーチナースという道を志したきっかけは何だったのでしょうか?

藤原:
私は医療とは違う領域で、社会人経験をしたのちに2005年に看護師になりました。

当時は「リサーチナース」という言葉をそれほど認識していたわけではありませんでしたが、臨床試験の重要性を感じて、この道を選びました。

特に印象深いのは、末期の肝臓がんを患っていた患者さんとの出会いです。その方は臨床試験に参加されましたが、残念ながら病状が悪化し亡くなられてしまいました。ただ、その患者さんが最後に私にこう言ってくださったんです。

「自分が今やっていることは、将来、同じ病気になった人たちが治療を受けられる選択肢をつくる手助けになると思う。私はよく頑張ったよね」と。

この言葉を聞いた時、「本当にその通りだ」と思いました。臨床試験の仕事を始めてまだ2年目くらいの頃のことです。その時は目の前の患者さんのご病気が進行してしまったときだったので、言葉にならない気持ちとともに、患者さんの言葉が深く胸に刻まれました。この患者さんから、臨床試験の本質やリサーチナースとしての役割を教えていただいた瞬間でしたね。

未来の医療を支える臨床試験

──臨床試験の持つ意義について教えていただけますか?

藤原:
臨床試験は、目の前の患者さんを守りつつ、未来の患者さんが治療を選ぶ際の大切な根拠を作るものです。

例えば「ある副作用は自分にとってはどうしても避けたいから別の治療を選ぼう」「少しリスクがあってもこちらを試してみたい」といった、患者さんの意思決定を助けるための根拠となるデータを提供しています。

臨床試験の結果、「この治療は効いた」だけでなく、「効かなかった」という結果も未来の医療にとって大きな意味を持ちます。臨床試験がなければ、こうした判断材料が提供できないのです。だからこそ、臨床試験は未来の医療を切り開く上で欠かせないものなんです。

現在、世界中で臨床試験を安全に行うための国際ガイドライン「ICH」が存在します。

このガイドラインには、臨床試験の目的は、現在の患者さんをしっかり守りながら、未来の患者さんが治療を選ぶ際の意思決定を支援するための根拠を作るのだと記載されています

患者さんが「治療を受けるべきか」「ある副作用が自分の生活には困るので、他の副作用があるけれども他の治療を選ぶべきか」と迷ったとき、臨床試験で得られたデータがその判断材料のひとつになるんです。

臨床試験で得られたデータによって、治療の効果や副作用にはもちろん個人差がありますが「この治療があなたにどのように効くか、副作用がどのぐらい出るかは、実際に治療を行ってみないとわかりません。ただ、これまで試験に協力してくださった患者さんたちのデータに基づけば、このぐらいの可能性があると言えますよ」という説明ができるんです。まったく、何のデータもなければ「何が起きるかわかりません」ということになります。

そうすると、患者さんは「確率は少なくても、仕事上、手が痺れるのは避けたいから別の治療にしよう」とか、「少し気持ちが悪くなる副作用があってもこちらを選びたい」と、自分の価値観に基づいた判断ができるようになります。

こうした患者さんの選択を支えるのが、臨床試験のデータです。

私がいつも言い続けているのは、「臨床試験をみんなで大事にしましょう!」ということ。

臨床試験は未来の医療の可能性を広げるためにも、欠かせないものなのです。

臨床研究の進化と患者中心の治療

──長年、臨床研究の現場に携わられてきて、どのような変化を感じられますか?

藤原:
最近、よく見られるのが「デ・エスカレーションスタディ」と呼ばれる試験です。

以前は治療法が乏しい時代が長く、治療効果を高めるための新薬開発が主流でした。もちろん近年でも新薬開発は進んでいますが、しかし、今は薬や検査技術が進歩したことで、不要な治療をせずに、患者さんに最適な治療をさがす試験も見られるようになっています。

現在、がんと長く向き合う患者さんが増えている一方で、がん以外の病気が新たな命の危機を招くことも増えています。がん治療を受けられた後の人生の時間が伸びたことはよいことですが、がん治療の影響で、二次がん(※)が起こったり、年齢や生活習慣の原因のものも含めて、心臓病、糖尿病が悪化したりするケースもあります。

※がん治療のために使用した抗がん剤や放射線治療の影響で2つ目のがんを発症することがあり、これを二次がんといいます。

がんの治療には副作用もあります。効果があることがわかっている薬剤でも、2年続けるのと1年続けるのと効果がかわらず副作用が軽減されるならその方がよいということになります。また、治療によっては、リンパ浮腫のリスクが高まったりすることもあります。だから、過剰な治療を避け、必要な治療を受けていただくことが重要となってきています。

これまで根拠があって実施してきたことを変えるのは非常に難しいですが、過剰な治療が引き起こす問題を避けるためには、臨床試験でその必要性を見極め、最適な治療を選ぶことが大切です。病気を治すために生きるのではなく、患者さんがより良い生活を送ることができるようにするために病気に向き合うのですから、今後、こうした試験はますます増えていくでしょうね。

さらに、患者さん自身の意識も変わりつつあります。

臨床試験の重要性に対する理解が少しずつ深まり、患者会との連携や患者さん、そして社会の声を反映させる研究体制が整備されつつあります。国としても臨床研究の重要性を認識し、プロジェクトを推進しています。臨床試験が減るということは、未来の医療の選択肢が減るということですから、臨床試験は大事にしたいと思います。

目の前の患者さんと未来の医療、両方のために

──藤原さんがリサーチナースとして大切にしていることはどんなことですか?

藤原:
リサーチナースとして大切にしているのは、現在治療を受けている患者さんと未来の患者さん、両方のバランスを取ることです

臨床試験に参加する患者さんは、辛い症状を抱えながら、普段の治療に加えて研究のための検査や投薬が加わるため、身体的・精神的な負担が増えます。だからこそ、私たちリサーチナースが患者さんをケアをしながら、臨床試験への参加をサポートする必要があるのです。

現在の患者さんのことを考えてだと思いますが、「そこまでしなくても」とか、「臨床試験なんてやめた方がいい」と言う医療者もいます。もちろん、それも一つの考え方です。しかし、患者さんの中には、他に治療法がない中で、臨床試験に希望を見出す方もいますし、担当医や家族の勧めで参加を決める方もいます。患者さんが「参加したい」という意思決定をされた以上、私たちはそれを尊重したいと思っていますし、よく話し合うことが大切です。

患者さんは、「研究=人体実験」というイメージを持ち、不安を抱えている場合もあります。「本当に効果があるのか」「副作用が怖い」といった様々な思いを汲み取り、寄り添うこともリサーチナースとして大切なことです。

「臨床試験の参加に迷ったら、もちろん患者さん自身の判断で臨床試験への参加をやめることはできるけれど、看護師としてはこの試験が未来の新しい医療となるかもしれない」という可能性も含めて、二つの側面を伝えながら、患者さん自身が納得して選択できるよう支援しています

このバランスを取ることが、リサーチナースにとって最も大切であり、最も難しいことだと感じています。

──バランスですか、、、患者さんが臨床試験の内容に納得されるまでのサポートは非常に大変そうですね。

藤原:
市民参画の取り組みの中で、患者さんご自身から「臨床試験の説明を受けた患者さんに、どこまで納得してもらえるようにすればいいでしょうか?」という質問をいただいたことがあります。

とても重要な質問ですよね。難しい質問ですが、私はいつも「どこまでも悩んでいいんですよ」とお答えしています。納得するまで、とことん考えてくださいと。ただし、臨床試験には期限があります。悩んでいる間に、その臨床試験の参加ができなくなることもあるし、病気が進行してしまう可能性もあります。これは、通常の治療でも同じですよね。

以前、あるがんの学会で患者さんと一緒にセッションに参加する機会がありました。その時に、患者さんが「新しい治療を受けるべきか、副作用が心配で決められない」と仰っていました。その方は、過去の臨床試験の結果を見ながら、治療を受けるかどうか悩んでいたのです。しかし、同時に「いつまでも悩んでいたら、この治療の機会を逃してしまうかもしれない」ということもおっしゃっていました。臨床試験への参加も同じですよね。

納得するまで悩むことは大切ですし、私たちもできる限りサポートします。しかし、悩んでいる間に参加の機会や、他の治療の選択肢が狭まる可能性もあることもお伝えしなければいけません。最終的に参加するかどうかを決めるのはご自身です。「もし臨床試験への参加に迷うなら、参加しないという選択も私たちは尊重します」ということを、お話するようにしています。

不確実性の高い現代社会において、「どこまで理解すればいいのか」という明確な基準はありません。だからこそ、患者さん自身が納得できるまで考え、最終的にご自身で決断することが大切なのです。私たちリサーチナースは、その過程をサポートする存在でありたいと思っています。

「臨床試験」という1つの選択肢

──これまでのお話をお聞きして、患者さんは、「臨床試験」も治療の選択肢の一つとして知っておいた方が良さそうですね

藤原:
そうですね。ただ、これまでの臨床試験の結果得られた、現在の治療と異なり、不確実性が高いので、治療と誤解されることは避けた方がよいと思います。

また、「もっと良い薬があるのではないか」「他に良い治療法があるのではないか」と探し続けることも、患者さんやご家族にとって負担が大きくなることもあると思います。

まずは、今、診てもらっている主治医の先生や看護師さんたちに話してみてください。

将来への不安もあるでしょうが、目の前で一生懸命治療にあたってくれている先生や、病院のスタッフが、一番患者さんの状況を把握されていると思うので、最初に相談してみることをお勧めします。

最適な治療法や臨床試験の情報は、必要な時に自然と見つかるものです。焦らず、まずは目の前の先生や医療スタッフを信頼し、相談しながら治療を進めていくことが大切です。「出会う時は出会う」から!

──「出会うときは出会う」。本当にそうですよね!

リサーチナースは現在と未来の患者さんを繋ぐ架け橋

──藤原さんが思い描く、理想の臨床試験の現場とはどのようなものでしょうか?

藤原:
臨床試験は、未来の医療を創るためになくてはならないものです。

今の医療現場では、研究者や医師だけではなく、看護師、薬剤師、検査技師、リハビリテーションの専門家や、ソーシャルワーカーなど、たくさんの人が協力しながら研究を進めています。

でも、一部の研究では、その体制は十分ではありません。だからこそ、臨床試験に参加してくださる患者さんと、未来の医療のためのデータを守り、質の高い臨床試験を推進するために、リサーチナースを増やしていきたいですね。

臨床試験は、現在の患者さんと未来の医療をつなぐ架け橋です。臨床試験を支える仲間が増え、その意義を共有できる環境が整えば、未来の医療はより良いものになっていくと信じています。

【インタビュー記事担当者】

編集長:上田あい子

編集ライター:友永真麗

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