”対話”を通じて、がん患者の居場所をつくる「がん哲学外来」

今回は、がんで不安を抱えた患者や家族を支援する「がん哲学外来」を2008年に開設し、『人生を変える言葉の処方箋』『もしも突然、がんを告知されたとしたら。』などの著者で知られる樋野興夫先生に、がん患者を支えるためには医療とは別の居場所の重要性や、今後の課題についてお話を伺いました。

Profile

樋野 興夫(ひのおきお)
順天堂大学名誉教授、新渡戸稲造記念センター長、恵泉女学園理事長、日本Medical Village 学会理事長。
1954年島根県生まれ。医学博士。癌研究会癌研究所、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォックスチェイスがんセンターなどを経て現職。2002年癌研究会学術賞、2003年高松宮妃癌研究基金学術賞、2004年新渡戸・南原賞、2018年朝日がん大賞、長與又郎賞。2008年「がん哲学外来」を設立。著書に、『がん哲学外来へようこそ』(新潮社)、『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげなさい』(幻冬舎)、『生きがいに気づく、いい言葉』(PHP研究所)など多数ある。
樋野先生のブログ⇒ 樋野興夫先生のブログ「楕円形の心」 

「がん哲学」とは?

──まず、「がん哲学」とはどういうものか教えていただけますか?

樋野:がんは生物学の法則、哲学は人間学の法則、そしてこれらが合わさったものが「がん哲学」です。がんに罹患すると、患者やその家族は初めて死というものを意識します。同時に、これまでの人生の意味やこれからの生き方、そして残された時間をどう過ごすかといった問いに真剣に向き合います。そのときに生じる不安や自責の念に対して、「哲学」が心の支えとなります。

私が初めて「がん哲学」を提唱したのは2001年でした。その2年後の2003年、日本病理学会で吉田富三氏の生誕100周年記念事業が行われた際、初めて「がん哲学」という言葉を世の中に公表しました。

日本全国から海外まで医療現場と患者のすき間を埋めるために
精力的にご活躍されている樋野先生。

──「がん」と「哲学」という一見調和しそうにない点に着眼したのはどうしてですか?

樋野:もともと私は病理医として長らくがん細胞の研究に携わってきました。当時の私の恩師が、政治学者の南原繁氏、病理学者の吉田富三氏の教え子で、2人に影響を受けた恩師からいろいろな話を聞いていたことが原点です。

がん病理の研究を進めるなかで、正常細胞ががん化するメカニズムと、一人の人間が社会の中で不良息子や不良娘になるのは似ていると感じました。

人間の体には正常細胞とがん細胞があり、「がん細胞をいかにおとなしくするか」ということが「不良息子や娘をいかに立ち直らせるか」によく似ています。

人間社会で不良と言われる例えば若い少年がいると、その周りにいる人たちも感化されて不良になる傾向にあります。ただ、その不良の人は寂しかったり傷ついていたりして、周りの多くの人たちが手を差し伸べ包み込むことで、その人は更生へ向かっていく。

がん細胞も一緒で、みんながん細胞を持っているけれども、細胞間のコミュニケーション(cell-cell communication)がしっかりとれて、なんとか正常な細胞でがん細胞を守っていくことで、たとえ、がんを防ぐことはできなくても、選択的に大きくならないのでは、と考えたのです。

がん細胞の病理(がん細胞がどのようにして体の中で問題を引き起こすか)と、人間社会の病理(認知症や児童虐待、家庭内暴力、自殺やうつ病の問題がどうして増加するのか)が、よく似ていることに気づき、「がん哲学」という考え方を提唱することになりました。

この発想は、私が病理を専門としていたからこそ生まれたもので、臨床医だったら気づけなかったかもしれませんね。

これまでに多くの著書を出されています。

医療現場とがん患者の“すき間”を埋める「がん哲学外来」

──体の中で起こっていることは、世の中で起こっていることと同じと捉えられたのですね。では「がん哲学外来」はどのようにスタートされたのですか?

樋野:2000年代にアスベスト(石綿)による中皮腫や肺がんなどの健康被害が社会問題になったとき、私は当時勤めていた順天堂大学で中皮腫の早期診断法を開発していました。そこで患者救済のために順天堂大学附属病院で「アスベスト・中皮腫外来」を開設し、問診を担当しました。

外来にはたくさんの患者さんが来られました。その中で感じたことは、がん医療の現場は、治療や検査に追われており、患者さんの心のケアに十分な時間や配慮ができないことでした。患者さんの不安や苦しみは、治療に関することだけではなく、家族や人間関係、仕事のことなど多岐にわたるため、医師とがん患者さんの間に”すき間”が生じていました。

この”すき間”を埋めることで、がん患者さんが治療に前向きに取り組み、病気を受け入れながら自分らしく生活することができるのではないかと感じました。

そして、がんと共に生きるこれからの時代において、その不安や心の痛みを受け止め、”すき間”を埋めるための対話が必要だと、病院に提案して「がん哲学外来」を2008年に開設しました。

外来では、診察もせず、カルテもとらず、約60分間がん患者さんと語り合います。

──「がん哲学外来」が開設された当時、どのような反響でしたか?

樋野:各新聞社で大きく取り上げられ、全国各地から予約が殺到しました。実際、キャンセル待ちも出るほどで、”対話の場”の必要性を確信しました。

話題となった要因の1つに「がん哲学外来」というネーミングもあると思います。もしこれが「がん相談」だったらここまで注目されなかったでしょう。世の中は説得するのではなく、気にさせることが大切ですからね。

がん患者さんに関しては、医療や治療ではなく、悩みを聞いてくれるという居場所になっていきました。「がん哲学外来」では悩みを解決できなくても解消することができます。これが大切なのです。

──なるほど。悩みがあっても悩みを問わなくなるのが「解消」ですね。

樋野:そう、解決はできない。解決と解消の違いです。

がん患者に必要なのは「居場所」

──私も長年、がん経験者の方たちと接してきて、頼れる場所や心理的に安心安全な場所が必要だと痛感しています。「がん哲学外来」はまさにそういう場所ですね。

樋野:そう、「がん哲学外来」はがん患者さんの居場所づくりです。自分のことを見守ってくれる人がいるかどうかは、がん患者さんにとって非常に大切なことです。

──誰かが、自分を認めてくれることが励みになったりもしますよね。そんな自分の居場所を探すにはどうすればよいのでしょうか?

樋野:患者さんに必要なことは、人のために何かをやることです。そうすると自分のことに無頓着になり、自分の人生が最も大切だと思わなくなる。人生に期待するから失望するのであって、そうではなく自らが人生から期待されるように行動していくのです。人は皆、人生から期待されているということを忘れてはいけません。それだけで存在意義があるのです。

人にはそれぞれの役割、使命があります。それを自分で探しにいく。靴を履いて外に出る。そうするときっと、何かが与えられます。八方塞がりでも天は開いていますから。

樋野先生のご出身島根の出雲大社 大黒様の前で(左)
患者さんの居場所づくりのためであればたとえ、雪の中でも(右)

言葉で目の前の患者さんを救う「言葉の処方箋」

──語り合いながら、少しずつ行動しながら自分の役割、使命を見つけて、それに時間を使っていくことで、つかの間でも病気のことを考えない時間をつくるんですね。

樋野:はい、そうすることで困難に立ち向かうチカラになります。新渡戸稲造氏の言葉に「人生に逆境も順境もない」とあります。

自分のことばかり考えると、悩みや苦しみが立ちはだかって逆境になる。でも、自分よりも困った人に手を差し伸べようとすれば、自らの役割が生まれ、逆境はむしろ順境になる。人生の生き方によって逆境を順境にできると私は理解しています。
(編集長大きくうなづく)

偉大な教育者である新渡戸稲造氏は私の心の師です。他にも伝道者内村鑑三氏、政治学者南原繁氏、経済学者矢内原忠雄氏。この4人の生き方の本を若い頃から読み、言葉を暗記し、心の引き出しにしまっています。その言葉をがん患者さんに出会ったときに、「この患者さんにはこの言葉がいいな」と選んで処方しています。これが「言葉の処方箋」となって、たくさんのがん患者さんの心の痛みを解消してきました。

誰もががん患者の居場所をつくれる「メディカルカフェ」

──「がん哲学外来」から発展した”語り合いの場”として「メディカルカフェ」が全国で活発に活動されていますね。

樋野:はい、「がん哲学外来」はキャンセル待ちが出るほどに多くの患者さんが来られるので、これは外でやった方がいいと思い、2008年に病院の外に出ました。”外”でやることにこだわったのは、病院ではなく、もっと患者さんの敷居を低くして誰もが気軽に参加できる居場所づくりがしたかったからです。

「がん哲学外来」では医者と患者が1対1の面談が基本ですが、メディカルカフェでは、参加者全員で治療に関することから人間関係に至るまで、さまざまな悩みを分かち合います。

主催者や参加者はがん患者さんやそのご家族、友人、遺族や医療従事者などいろいろな立場の人たちで、中学生が主催したこともありますよ。

──すごいですね、そういう子たちが歳を重ねていって社会の中心になっていくと、病気になっても不安が少ない社会になっていくでしょうね。

樋野:そうですね。現在、全国には約180箇所のメディカルカフェがあります。患者さん自身が主催したり、医療関係者による院内カフェや企業内カフェ、教会でも行っています。どの場所も「がん哲学外来」という名前は共通で、形容詞的な言葉を思い思いに付けて活動されています。

自分で動物を決めたら誰でも入れる、2019年10月13日に開設された『樋野動物園』
『樋野動物園』の意義は『個性と多様性』

がん患者と”対話”を続けてきて感じる課題

──「がん哲学外来」を2008年にスタートされて16年ほど経ちますが、先生がずっとがん患者の環境をみられてきて、変わったことや変わらないことはありますか?

樋野:そうですね、この16年間で治療や患者さんの居場所づくりは進歩しました。一方で、人間関係の悩みは依然として変わらない部分があります。がん患者さんを取り巻く職場の人間関係は、昔と比べると改善されてきました。しかし、家族間の人間関係にはほとんど変化がありません。

家族で一緒の部屋に30分間、会話はなくても新聞を読んだり、テレビを観たり、お茶を飲んだり、お互いに顔が見れる距離で一緒に過ごせないということが現実で起こっています。

──そうなんですね。確かに職場の環境はまだまだ課題はあるでしょうが、患者への配慮を少しずつ会社側ができるようになったと私も感じます。16年前はその辺りも理解が乏しかったんですか?

樋野:16年前は職場と家庭の人間関係の悩みは半々ぐらいでした。それが今では職場の人間関係の悩みは少なくなり、家族の人間関係は一向に変わりませんね。

現在、私は定期的に小学校でがん教育を行っています。そこではがんに関する知識ではなく、心構えを教えています。もし自分の家族や身近な人ががんに罹ったとき、顔が見える同じ部屋で、会話なんてなくていいから一緒にいてあげるだけで支えになるんだよと、伝えています。

日本人というのは、顔を見るだけで嫌になるという部分があります。”対話”は心と心の通い合い、会話は言葉。”対話”ができる場所を家庭で作れるように、30分間黙ってお茶を飲むだけでも心が通じ合い、癒しになるということを教えています。

──医者と患者の関係はいかがですか?

樋野:医者と患者さんの関係もなかなか改善されていないように感じます。それは医学の教育に”対話”がないからだと思います。

みんな馬の上から花をみているんですね。そうではなく馬を降りて患者さんと同じ視線で診ないと。その意識が日本は道半ばだと思います。

──海外ではこういったフォローが充実しているのでしょうか?

樋野:海外には日本では聞きなれない「ファーストコンタクトチーム」という言葉があります。がんに限らず、何か困ったときに誰に何を言っていいかわからない段階でファーストコンタクトで相談ができる敷居の低い場所があるのです。

メディカルカフェがその場所になればいいなと思っています。

また、私は日本にメディカルヴィレッジが必要だとも思っています。メディカルヴィレッジとは、いろいろな分野の人が交わって一人の人間を癒す村のことです。そういう想いで日本メディカルヴィレッジ学会も立ち上げました。

──いろいろなジャンルの専門家との連携ができれば、がん患者にもっと優しい社会になりますね!

樋野:そう、今は、いろんな異分野で純度の高い専門性を持った人たちの交流が必要です。日本メディカルヴィレッジ学会ではその居場所づくりをしていきます。

居場所づくりで広がるがん患者の未来

樋野:2023年11月、患者さんたちと東京の隅田川を2時間半かけて渡る、屋形船の旅をしました。参加者は子どもから大人まで23人が集まりました。船内でカラオケをしたり、楽しい思い出作りができました。

屋形船の旅で患者さんたちと楽しい思い出づくりをする樋野先生。
「冗談を本気でやるんだよ」と柔らかな笑顔で話してくれました。

コロナで一時おやすみしていましたが、日光、河口湖、韓国にもいきましたよ。友だちや家族に「今日、ここに行ってきたよ!」と言える、そういうことってがん患者さんにとても大切です。

メディカルカフェの開催頻度も毎月1回がベスト。患者さんにとって、1ヶ月に一つでも手帳に予定が立てられるようにするのが大切

どこでもいいから、自分が行ける時に行ける場所を作る。それが今、必要です。

メディカルカフェのようながん患者さんの居場所が、全国に2万5千人の人口に対して一箇所必要だと思っています。それは患者さんが自転車でこれる範囲。そうすると日本には7,000箇所ぐらい必要になりますね。

──今、がん患者に限らず、みんな自分の居場所を探しているように思います。居場所をつくって安心できる場所にしていくということが重要ですね。

樋野:困っている人のために安心安全な場所を作る。それが人間としての使命です

2023年秋に発売された新刊

「病気」であっても「病人」ではないと思える社会へ

──最後に、樋野先生が理想とする社会についてお聞かせください。

樋野:人間には「もしかすると、このときのため?」が与えられています。辛いこと、理不尽に思える何かがあったときに何かが与えられます。

算数の法則で、プラス×プラスはプラス、元気な人は元気な人に接したら、自分もプラスになる。しかし、マイナス×マイナスもプラス。これは、自分よりも困っている人を探しに行こうということ。

人間には必ず身の回りに自分よりも困った人がいます。その人にちょっと手を差し伸べ、寄り添う。それは誰でもできます。黙ってそばにいてくれるだけ、横にいるだけでいいんです、それで人は慰められるのだから。

病気は仕方のないことです。ですが、病人になるかどうかは自分の想い次第です。病人にならないためには器をつくること。空っぽの器をつくって底が抜けないようにしておけば、誰かが水を入れてくれます。そういう居場所をつくっていけば、たとえ病気になったとしても、気持ちの持ち方次第で健康な人と同じように暮らしていけます。「病気」であっても「病人」ではないと思える社会にしていきたいです。

終始、穏やかで優しい語り口でインタビューにお応えいただきました。
お忙しいなか、ありがとうございました!

 

【樋野先生講演情報】ホスピス緩和ケア住民公開講座:おりなす八女
日時:2024年3月2日(土)13時30分~16時30分
参加費:無料
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【インタビュー記事担当者】

編集長:上田あい子

編集ライター:友永真麗

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